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高松高等裁判所 昭和29年(う)34号 判決 1954年5月14日

控訴人 被告人 峯山年夫

弁護人 松山一忠

検察官 湯川和夫

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役十五年に処する。

押収物件中手斧二挺(刑第一、二号証)は孰れも没収する。

理由

検察官の控訴趣意及び弁護人松山一忠の控訴趣意は末尾添付の通りであるが、

まづ弁護人松山一忠の控訴趣意第一点について、

しかし原判決挙示の各証拠を仔細に検討してみると被告人のその父利与蔵に対する所為は右証拠から窺はれる兇器の用法、その積極的な攻撃等から見て被告人に於てその場合已むを得ざるに出た所為とは到底認め難く正当防衛若しくは過剰防衛を認める余地はない、又その場合右利与蔵外政子、房江、加代子及び常夫に対する各殺害の犯意も右証拠上明確に認定できるから原審がこれを利与蔵に対する尊属殺人、房江、政子、加代子、常夫に対する各殺人未遂を夫々認定したのは正当であつてこの点事実誤認はなく論旨は理由がない。

同第二点について、

被告人の利与蔵に対する所為を尊属殺人と認定したことが憲法違反であるとの所論については原判決にも説明している通り既に刑法第二〇〇条は憲法違反でない旨の最高裁判所の判例もあり、当裁判所の見解もこれと同一であるから論旨は所詮採用できない。

次に同第三点並に検察官の控訴趣意は孰れも夫々の立場から原審の量刑不当を主張するものであるがこれらの論旨に対する判断を為す前に職権に依つて原判決の法律の適用について調べてみると原判決は被告人の所為中直系尊属を殺害した所為は刑法第二〇〇条殺人未遂の各所為は同法第一九九条、第二〇三条に該当するところ右直系尊属を殺害した所為については所定刑中無期懲役刑を選択し、犯情憫諒すべきものがあるから同法第六六条、第七一条、第六八条第二号に従い酌量減軽を為し、七年以上の有期懲役を以て処断すべく殺人未遂の各所為については孰れも所定刑中有期懲役刑を選択し以上は同法第四五条前段の併合罪であるから同法第四七条本文、第一〇条を適用の上最も重い直系尊属を殺害した罪の刑に同法第一四条の制限に従い法定の加重を為し、その刑期範囲内に於て被告人を懲役十五年に処し云々とその法律の適用を示している、しかし法律の適用に当り同時に刑を加重減軽すべきときは刑法第七二条所定の順序に依ることを要するから酌量減軽は各罪につき再犯加重、法律上の減軽、併合罪の加重を為したる上なおその犯情憫諒すべきものがあるときに始めて之を適用すべきものと謂わなければならぬ。従つて併合罪中その一罪につき無期懲役を選択しその罪に法律上減軽の事由なき場合には之と他の有期懲役刑に処すべき罪とにつき刑法第四七条を適用すべき余地なく同法第四六条第二項により無期懲役以外の他の刑を科せず若し犯情憫諒すべきものあればその無期懲役刑につき酌量減軽を行うべきものであつて一罪につき酌量減軽を為し、然る後他の有期の懲役に処すべき罪と併合罪の加重を為すことは許されないものと解するを相当とする、然るに原審が原判示直系尊属殺害の点につき無期懲役、他の各殺人未遂の罪につき孰れも有期懲役を選択しこれらの各罪が刑法第四五条前段の併合罪の関係にあるに拘らず右直系尊属殺害の罪につき酌重減軽を為し、然る後他の殺人未遂の各罪と共に同法第四七条を適用して最も重い直系尊属殺人罪の刑に併合罪の加重を為したことは明かに法律の適用を誤つた違法があり、この誤りは当然判決に影響するものと認められるからこの点に於て原判決は破棄を免れない。

よつて前記弁護人及び検察官の量刑不当の各論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項に則り原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書に従つて直ちに判決する。

原審の確定した事実に法律を適用すると被告人の原判示所為中直系尊属殺害の点は刑法第二〇〇条に、各殺人未遂の点は孰れも同法第二〇三条、第一九九条に該当し、右は同法第四五条前段の併合罪の関係にあるが直係尊属殺害の罪については所定刑中無期懲役刑を、又各殺人未遂の罪については孰れも有期懲役刑を選択した上同法第四六条第二項を適用して被告人を無期懲役に処すべきところ犯情憫諒すべきものがあるから同法第六六条、第七一条、第六八条第二号に依り酌量減軽を為した刑期範囲内に於て被告人を懲役十五年に処し押収に係る手斧二挺(刑第一、二号証)は孰れも本件犯行の用に供したものであつて被告人以外のものの所有に属さないから同法第一九条第一項第二号第二項に則りこれを没収すべきものとする。

よつて主文の通り判決する。

(裁判長判事 三野盛一 判事 谷弓雄 判事 浮田茂男)

検察官湯川和夫の控訴趣意

原審判決は科刑軽きに失し刑の量定不当である。原審判決は被告人峯山年夫に対する起訴事実を全部認め、被告人は父利与蔵と共に農業の傍ら山仕事をして働いていたものであるが、被告人の母(利与蔵の妻)は四年前死亡したため被告人の妻政子は長女加代子(当五才)と次女房江(当一才)の両児を抱えて農業の手伝をする外利与蔵や白痴の義兄常夫(被告人の兄)のめんどうをも見たりしなければならなかつたが同女は被告人方へ嫁入るまで農事の経験がなかつた上にかねてから健康にも恵まれなかつたため田畑の手伝も満足にはできず利与蔵や常夫の面倒を見ることも到底十分にはできなかつたので日頃やかまし屋で短気一徹な利与蔵は政子が気に入らずよく嫁の不平や不満を述べたり、小言を言つたりして政子を困らせ殊に酒を呑むとくどくどと不平や不満を並べ立てるのが同人の口癖でこれがため親子の間は自然に不仲となり、数ケ月前には父と別居する話合も出来たほどであつたが適当な家がなかつた関係で心ならずも引続き同居生活を余儀なくせられていたところ、昭和二十八年九月七日(八朔の前日)その日は天候が悪く山に行けなかつたので八朔の祝を一日繰り上げることにし焼酎を買い求め午後七時三十分頃被告人の肩書居宅十畳の間で隣家の三橋信雄を招き親子睦じく焼酎を呑み始めたが酔が廻るにつれて利与蔵は「今の若い者は百姓仕事もせずぶらぶらしている」「家の嫁は気がきかん草も取るでなし畑は草むらぢや」「家の若衆はわしや常夫のめんどうも見てくれずわし等をほうけにしている」等とまたしても嫁や被告人に対する不平不満を言い出したが、被告人は父のいつもの癖が出た位に思つて相手にもせずに居たところ偶々その日から三日前流産した政子の看護に来ていた義母前谷トワ(妻政子の母)が前記三橋信雄の手前を憚り「酔にまかせて人前でそんなことを言つてくれるな」と制止しようとしたところ、利与蔵は却つて反抗的となり、政子も「頭が痛いからやめて欲しい」と懇願したのにかかわらず右三橋が中座して帰宅後も依然として嫁の悪口や被告人等に対する不平、不満を言い続けたのでトワは終に涙を流して立腹し、速刻帰宅すると言い出し、被告人等の制止するのも聴かず帰り仕度を始め出したが父はなおも意固地になつて「帰る者は止めてまで居てもらわんでいい」と言い寡るばかりであつたので被告人も亦終にたまりかねて突如「家を出て行く」と言いながら腹立ち紛れに傍にいた前記房江と加代子の両名を次々に手で殴りつけた上その場を立ち上りかけたところ利与蔵は「おどれ何を」と言いざまやにわに被告人をその場に突き飛ばした後南手続きの内庭の方に駈け行き将に右内庭に置いてあつた山仕事用の手斧を取り上げ被告人に立ち向かつて来るように見え身の危険を感じたので被告人はその瞬間髪をいれず自ら先に右手斧(刑第一号証)を取り上げ右手斧で利与蔵の頭部を一撃したところ同人はそれにもひるまず尚も立ち向かつて来るかのように思われたので俄に同人を殺害するもやむなしと考え、更に右手斧を以て同人の頭部を一回強打し頭部二ケ所に頭蓋底骨折の傷害を加え因て右傷害に基く大出血による失血のため即時その場において自己の直系尊属たる同人(当六十三年)を死に致し、次で被告人は右犯行により利与蔵がその場に打伏せに倒れ死の免れないことを覚知するやいたく自責の念に駈られた結果寧ろ一家全員を挙げて殺害の上自らも亦自害するより外に道なしと決意し、右手斧を以て前記十畳の間に居合せた次女房江、長女加代子、妻政子の各頭部を順次殴打したが折柄急を告げられその場に駈けつけた前記三橋信雄のため右手斧を取り上げられるや更に前記内庭にあつた他の手斧(刑第二号証)を取り上げ、それを以て同十畳の間にいた兄常夫の頭部をも殴打したが房江に対しては治療約三週間を要する右側頭部陥没骨折兼皮膚挫傷、加代子に対しては治療約二週間を要する頭頂部挫創、政子に対しては治療約十日間を要する前頭部挫創、常夫に対しては治療約二週間を要する右前額部挫傷兼陥没骨折の各傷害を与えたのみでいずれもその殺害の目的を遂げなかつたものである。(原審記録第二百八十七丁裏乃至第二百九十丁表参照)と判示し、検察官の死刑の求刑に対し懲役十五年を言渡したのである。

右は左の理由により刑の量定不当であつて破棄を免がれざるものと思料する。

(一) 犯罪の動機並びに手段、方法に於て著るしく非難されるべき案件である。即ち被告人は検察官に対し、「午後五時頃と思ひますが父が一杯酒をやらんかと云ひますので私も日頃から酒が好きであり同意して父が隣の三橋さんの子供に頼んで焼酎一升を正木酒店で買つて来て貰つておりました、はつきりした事は判りませんが午後七時頃と思ひます食事の支度が出来たので私の家の十畳の部屋で義母、兄、妹、長女、次女が食事をしましたが妻政子はその部屋の西の方で布団の中で寝ておりました。私と父は十畳の間と土間との間あたりに火鉢をはさんで座つて焼酎を湯呑茶碗で飲みました、一杯位飲んでから父が隣の三橋さんを呼んで来いと云ひますので三橋さんには平常から世話になつているので父としては焼酎を飲んで貰ふ為めに私に呼んで来いと云つたもので私は三橋さん方に行つて一寸来てくれと云つて三橋さんに来て貰ひ三人で酎焼を飲みました。私は二合位、父は二合位、三橋さんが一合位飲んだと思ひますが三人で飲んでいると父が今頃の若い者は仕事をせずにぶらぶらして困るとか、私の妻政子が百姓仕事も余りせず兄常夫の世話もせずいかにも働かないと云ふ様な意味の事を云出したので父は最近酒を飲んだりするとその様な不平を何時も云つているので又例の不平が出たと思ひ止めてくれればと思ひましたが何時もくどくど云ふ性でその時も何度も何度も繰返して云つておりました。三橋さんももうよいと云つて止めておりましたが丁度三橋さんを訪ねて誰れかが来たので三橋さんは帰られその後で父は相変らず不平を云つておりました。その時夕食を済ませた義母が余り父がくどくど妻の事を云ふので親も薄いから子も薄いんだと云つており父はこの義母の言葉に怒つた様でした。義母も感情を害して今晩の汽車で帰ると云ひ父は帰るんなら帰れと云つており義母は隣の六畳の間で帰り支度をしておりました。私は父と義母の間に立つてどうしようかと考え父もいい位で不平を止めてくれればと思ひましたが止めそうにもなく少し酒に酔つたのか不平を云つておりました。私は義母が感情を害して帰ると云ひ父は不平を云つて止めないので日頃から父が妻に対して不平を云つている事と思ひ合せ父に対し癪に触つて来て私は家を出て行かうかと考えたりして丁度私の側に次女の房江が居つたので父に対する怒りを次女の房江に向けたのでありますが、突き飛ばす様に房江を押しやつて立上つた処それを見た父が、父に対し面当てをしたかと思つたのか何をするかと云つて怒りました。そして私の胸のあたりを手で突いたので私は土間と十畳の間の間に倒れかかり父は私を突いた後土間の麦俵に立掛けてあつた手斧の置いてあつた方に行きましたのでてつきり手斧で私を撲るのではないかと考え酒を飲んでいた関係もあり父のやり方がいかにも僧らしく非常に癪に触りましたので父が手斧を取つて私に撲る前に私が手斧を持つて父を撲つてやらうと思ひました。そして父が手斧を取らない前に私が手斧の処に飛んで行き後で判りましたが大きい方の手斧で父の頭のあたりを撲りました。」と供述し、(原審記録第二百七十四丁乃至第二百七十七丁参照)父利与蔵が酔余の上被告人並びに被告人の妻政子に対し不平不満を並べ然かも其の場に前谷トワが同席していたため被告人としてはその立場に窮したことは想像し得られるも父利与蔵に対し一言の忠告もなさないでいきなり暴力手段に出ていることは万事に付け暴力に訴えて事を解決しようとする被告人の思想性格の現はれであると考える。被告人が父利与蔵の行為に激昂し手斧を以て父の頭部等を殴打したものであるが、その手斧たるや山林に於て樹木を伐採する樵夫の所持する鋭利な手斧であり(原審記録第百三十五丁写真参照)従つて父利与蔵が受けた傷害の程度も残忍極まるもので何人も正視するに忍びないものである。(原審記録第百三十一丁乃至第百三十四丁写真参照)従つて原審判決が被告人が公判廷に於て殺意の点を否認しているのにかかわらずこれを認め(原審記録第二百八十九丁参照)ておるのも宜なるかなと云ふべきであるが、被告人の行為に付いて考察するにいかにその行為が残虐であつて犬猫を殺すに等しいもので被告人のかかる犯行に出でた動機と行為との関連性より考えて聊も是認する余地のないもので平和民主主義の人権尊重の喧伝されている現社会に於てかくの如き無暴残虐極まる方法、態様は寸毫も仮借すべきでないと信ずる。

(二) 被告人の行為は我が国古来の醇風美俗に背反する事甚しいものと云はなければならない。およそ夫婦、親子、兄弟等の関係を支配する道徳は人倫の大本であり、之れは古今東西を問はず人類普遍の道徳原理である。特に子の親に対する道徳的義務は最も重要視されなければならない。我が国を始め諸国の立法が尊属殺に対する罪を普通の場合より重く処罰しているのも当然と云はなければならない。被告人が父に当る利与蔵を殺害し、其の上兄に当る常夫を殺害しようとした事、然かも手斧を以てなしたもので前述の通り其の行為は残虐無比のものであり、被告人が通常の精神状態に於て為したものである点等より考え被告人に対し寛刑を以て臨むべきではないと思料する。

(三) 被告人の行為は妻子を所謂自己の私有物と考えたもので其の思想が封建的であり且つ妻子の基本的人権を侵害する事夥しいものであると云はなければならない。被告人は検察官に対し「私は父が死んだものと思ひ父を殺した事に付いてこの侭では済されないので一層のこと家族全部を殺して私も死のうと決意したのであります。そして父を殺すのに使つた手斧で十畳の部屋に居た次女の房江の頭を一回撲り続いて長女の加代子の頭をその手斧で撲り私がその様に子供を手斧で撲つているのを見た妻政子が止めに来たのでそれを振切つて妻の頭を手斧で撲つたのであります」と供述し(原審記録第二百七十八丁参照)被告人が父を殺害した事に対する責任を自己のみならず妻子に負荷させようとするもので古来「子は親のもの」とする思想の現はれであり、之れは無批判的な封建思想の現はれであると云ふべきである。尚妻子を殺害しようとした事は基本的人権の中最も重要な生命権を侵害するもので例えその被害者が如何なるものであるにせよ幼嬰児たると我が子たるとその生命権は充分尊重せられなければならない。その生命権を奪はんとするが如き犯罪に対しては是又寛刑を以て臨むべきでないと思料する。

(四) 被告人の犯罪後の情状について酌量の余地がない。即ち被告人は検察官に対し「私は以上申し上げた様に父や家族の者を殺す心算で手斧で頭を撲つたのですから手斧と云つても私と父が木を切るのに使つている大きな手斧でありその手斧で撲つた以上皆死んでおり殺したものと思つておりました」と供述し(原審記録第二百八十一丁参照)尚検察官に対し「今から考えて父を殺した事、妻や子供、兄に相当の傷を与えている事、父に対しては誠に申訳なく他の者に対しても相済まないと思ひます。従つて本当の事を申し上げて裁を受ける覚悟でおります」と供述し(原審記録第二百八十三丁表参照)悔悟謝罪の情を示して居るにかかわらず公判廷に於ては裁判官に対し「父は土間に置いてあつた斧を取りに行きましたので斧で殴られては大変だと思つて父より先に私がその斧を取つたか或いは父の手から斧を取り上げたか判然と致しませんが私はその斧を以て父の頭部を一回殴つた事は覚えて居りますがその後はかつとなり父及びその他の家族を殴りつけました」と供述し(原審記録第二十五丁参照)先に検察官に対して為した供述を否認して居り悔悟謝罪の情の片鱗だに認める事の出来ないのは全く反省心なきものと断ぜざるを得ない。被告人は検察官に対し「私はその様にして父を殺し家族を全部殺したと思ひ私自身死のうとも思ひましたが今から考えてどうした訳か良く判りませんが死ぬのを止めて警察に自首しようと云う考えになりその侭私の家から東の方に歩いて行き三宅清子さん方の辺りで義母に会ひ父や家族の者を全部殺したからこれから自首して行くと云つて話をしました」と供述(原審記録第二百八十丁参照)被告人が自害しようと決心し乍らこれを果さないで自首しようとした事は自己の責任を回避したものと言ふべく是又酌量の余地がなきものと断ぜざるを得ない。

(五) 本件犯行に対する社会的影響に付いては一且新聞紙上等に本件犯行が報道せられるや世上一般特に徳島県の民心に与えた衝撃は少なくなく其の残虐無比な犯行に対し瞠目すると共にかかる残忍な被告人に対し峻厳な刑を以て臨む事を期待し本件の裁判によせる関心の深い事は首肯し得られる処である。

叙上(一)乃至(四)は原審記録により明瞭であつていかなる角度より本件を観察しても被告人に対し情状を酌量し懲役十五年と云ふ寛刑を以て処断するは量刑著しく軽きに失することは明らかであるから茲に原審判決を破棄して更に相当の判決を求めるため本件控訴に及んだ次第である。

弁護人松山一忠の控訴趣意

第一、原審判決は、判決に影響を及ぼすべき事実の誤認があり且つ法律適用を誤つた失当がある。

被告人の所為は正当防衛に該当する。犯行当日雨天の為被告人は父利与蔵と山仕事にゆくことを止め父の希望により八朔の祝を一日繰り上げてその夕方父並家人及隣人三橋信雄と共に祝の膳についたが父に於て酔ふ程に被告人の妻政子の悪口を言ひ、信雄帰宅後も政子の母前谷トワに対して政子への不平並被告人への不満をしつやうに繰返し言ひ、止める様子がなかつたのでトワなどと之を止める様懇願したけれどもますます言ひつのるばかりであつたから隠忍しかねて気を抜く為家を出るとて其の膝にもたれかけていた房江、加代子をのけて立上つたところ父利与蔵が立腹し被告人を其の場に突き倒し内庭にかけて行きそこにあつた山仕事用手斧を取上げ被告人に殴りかかつた。日頃酒の上で乱暴する父の性癖を知つている丈にその侭にしておけば被告人並家人達の身体生命に危険ありと直感して其の手斧を奪取して父を一撃したものであつて、この父利与蔵が手斧を手にして倒れている被告人に襲ひかかろうとしたことこそ急迫不正の侵害であり、この侵害から被告人の身体生命を守る為に右手斧を奪ひ利与蔵に一撃を加ふることは巳むを得ざるものと云ふべきである。もし右正当防衛の主張が採用せられぬとすれば、被告人が利与蔵に手斧で一撃を加えた事、被告人の兄常夫などの家人を順次殴打したことは、前示利与蔵の言動によつて逆上し且つ焼酎の酔が一時に発して殆んど正気を失つて無意識に手斧を振り廻したのであつて勿論之を殺害しようなどの意思はなかつた、現に三橋信雄の為手斧を取上げられ別の手斧を持つた事を意識していない。もし夫れ常夫等を殺害する意思があつたとすれば常夫は殆んど白痴で妻政子は病中であり子供達は幼少であつて孰れも無抵抗の状況にあつたのであるからあの大きな且つ鋭く重い手斧で多少の力を加えて殴打すれば目的を達し得たであろうことは明であるが僅に十日乃至三週間の治療を要する傷害を加えたのみであつた事から考へても殺意なかりしものと云うべきである。即ち被告人の利与蔵に対する所為は正当防衛又は傷害致死で其の他のものに対する所為は傷害でなければならないのに、原審判決は尊属殺人並殺人未遂と認定しているが失当である。

第二、原審判決は憲法に違反している。原審判決は、被告人の其の父利与蔵に対する所為を尊属殺人と認定して刑法第二百条を適用しているが、この刑法の条文は日本国憲法に違反するものであつて死文である。日本国憲法第十四条は、すべて国民は法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により政治的経済的又は社会的関係に於て差別されないと定め、法の下万民平等であることを明にしている。夫れなればこそこの憲法の施行に伴ひこれに反する天皇をはじめ皇室に対する各種の特別な刑法罰条や女の為の姦通罪などが廃止せられた次第であつてこの時直系尊属と云ふ誤つた家族制度に於て認められていた身分上の優位的存在も消失し、これに対する刑法第二百条及同法第二百五条第二項も廃止せらるべきであつたに拘らず残されて今日に至つてはいるけれども前示第十四条に明に違反した死文である。この死文を適用処断した原審判決を憲法違反と云ふ所以である。

第三、原審判決は科刑重きにすぎ失当である。

(イ) 動機に酌量すべきものがある。被告人は父の希望により八朔の祝を一日繰り上げて犯行当日にして家人と共につつましくともたのしい食膳を用意し之も父の意に従ひ焼酎を買求め隣人三橋信雄を招きだんらんしたのであるが酔ふにつれて父が他人の前で色々と家人の悪口を云ひさすがにおとなしい被告人もたまりかねていたがよく自重し父に抗することなく気を抜く為一時家を出ようと考へ立上つたところ父の為に突き倒され且つ手斧で打たれようとした故止むを得ずに之に抵抗したものであり、その後の家人に対する所為は逆上の結果である。即ち本件は父の余りにも無茶な言動が誘発した犯罪であつて其の責はむしろ父にあるとも被告人にはない。

(ロ) 自首している。被告人は逆上と酔の為本件犯行を殆んど夢中で敢行したものの興奮よりさめ自己の所為に驚くとともに甚だしき自責の念に堪えず直ちに自首している。

(ハ) 被告人に改悛の情著しいものがある。被告人は生来温順であつて家にあつてもむつかしい父によく仕へ家業に励み外にあつては青年団や消防団の為によく尽し部落民賞讃のまとであつたが一時の興奮から父を死に至らしめ白痴の兄や何事も知らぬ妻子に傷を加えた事を深くわび反省の日々を送るのみならず被告人や父が働いても貧農のこととて家計が苦しかつたのに父と被告人を一時に失つた後の家族殊に白痴の兄の事に思ひをはせて悩みつづけている。

(ニ) 留守家族の現状は悲惨なものである。百姓仕事が出来ぬとて父から叱られていた妻政子が白痴の兄と幼少な子供二人を抱えて少しばかりの田畑を耕作しつつ繩作りの副業をはげみともかくも生計を維持せなければならない留守家族はみじめなものであつて、家族は勿論隣人なども被告人の一日も早く帰宅することを待望している。

(ホ) 本件の為に社会に悪影響を与えてはいない。本件発生直後から事件の真相を知る部落民並其の近隣の村民などは被害者である利与蔵を悼みはしたけれどもそれにもまして利与蔵の日常を而して被告人の性格を知るが故に、被告人に同情し其の気持が多数人からの減刑歎願書となつて現れている。

以上各般の事情を考察するなれば自首並酌量減刑をなす余地十二分にあり原審の刑は重きに失すると信ずる。

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